この映画に関われたことでがんのイメージががらっと変わりました。
最初は漠然と「がん=怖い」というイメージでしたが、実際に医師やがん経験者の方のお話を聞いていくと、医師の方たちはみなさん病気だけでなく、一生懸命に患者さんに向き合おうとされていて、がん経験者の方たちも、本当に自分のやりたいこと、幸せと感じるものを見つけて、強く生きていらした。もちろん大変なこともあるけど、「がんになったら終わり」じゃない。 がんは2人に1人が発症すると言われていて、若い人たちにとっても決して他人事ではありません。たくさんの方に映画を見て欲しいですし、見ていただければ心強く感じてもらえると思います
女優。映画・ドラマ・CM・舞台などで幅広く活躍中。 特技はピアノと剣道。 主な出演作に映画「月光」、映画「ひかりのたび」。
私自身はがん経験者ではありません。親族にもがん経験者はいなかったので、がんというものが遠い存在でした。怖い病気だというイメージはあるけれど、どこか自分はがんにならないと漠然と思っていました。しかし二人に一人ががんになると知り驚きました。
取材するなかで沢山の医療関係者やがん経験者にお話を聞いて、後悔しない選択をするために最も重要なことは、自分が人生の中で何を一番大切にしているのか、自分がどう生きていきたいのか、ということだと気づきました。「がんになる前に知っておくこと」を知り、自分ががんになったらどうするのかを考えることは、自分自身がどう生きていくのか、を考えることなのだと思います
1974年生。多摩美術大学卒業。在学中より身体性を追求した実験映画を制作、国内外の映画祭に参加。2005年からドキュメンタリー映画制作を開始。伝統芸能とそれが息づくコミュニティ、ダンスなどの身体表現におけるコミュニケーションと身体性について独自の視点で描き続けている。『究竟の地−岩崎鬼剣舞の一年』は山形国際ドキュメンタリー映画祭などで上映され、『躍る旅人−能楽師・津村禮次郎の肖像』は毎日映画コンクールにノミネートされる。
義妹は4年前に「がん」が発覚し、その翌年に亡くなりました。その時、初めて自分が「がん」について何も知らないことに気づきました。
がんに関する情報を求めて書店へ行き、TVやインターネットでもがんに関する番組を探して見るようになりました。しかし、いずれも私の知りたいことには答えてくれませんでした。「がんについて一から教えてくれるような映画」の必要性を感じ、自らプロデューサーとなり本作の製作を決意しました。
思いもかけなかったことに、がんの話を聞くことは全く恐ろしいことではありませんでした。むしろ、先生たちや、経験者の方々の話を聞けば聞くほど、がんに対する恐怖は薄れていきました。完成が危ぶまれることもありましたが、その度に不思議と誰かが助けてくれるということが幾度もありました。それはまるで誰かに「絶対に映画を完成させなさい」と言われているようにも感じられました。
本当に個人的な思いから始まったこの映画が、出演者、スタッフをはじめとした多くの方々のご協力のおかげで完成したことを喜ぶと同時に、上映を通して多くの人に届き、自分と同じような後悔や喪失をする人が一人でも減らせたら嬉しく思います
ミュージックビデオ、ライブ映像の監督などを中心に映像ディレクターとして活動。日本大学芸術学部映画学科監督コース中退後、アニメーション制作会社、TV制作会社、映画配給会社などの社員を経た後、2011年に株式会社上原商店を設立。